人の自慢話は聞いていても面白くないが、言いたいモノだ。たいていはうっとうしがられるし、話したくても理性でぐっと抑える。それでも比較的相手に話しやすく、また相手も興味をしめしてくれるのは「出産」と「犯罪」関係ではないかと思う。
ずいぶん前に上の子がお腹にいると分かったとき、いろんな人がお産の体験談を教えてくれた。こちらも初めてのことでどの話も参考にしようと熱心に聞いた。そして無事出産を終えると今度は見舞客から始まり、友人、親戚をつかまえてはコト細かに話した。その後も「どうだった?」と聞かれると張り切って話した。相手が初産婦ならなおさらだ。特に下の子供の時には産んでみたら小さかったので余計に周りが話を聞いてくれ調子に乗った。出産は非日常だ。これだけの人間がいるということはその数だけお産があったのにもかかわらず、どれも同じというのがない。自分だけの体験というのが雄弁にさせるのだろうか。
これが育児となると少し変わってくる。子供の出来や、親の出来に関わってくる。さらに子供が大きくなるとおのずと優劣がでてきやすい。容姿、成績や受験、さらには就職、結婚となると自慢話というのは生じやすくなる。うちの子など再起不能かと思われるひどい点数をとったテストの自慢を友人にするが、それは受け入れられやすいようだ。是非ともやめて頂きたい(T_T)。以前
空き巣に入られたときパトカーが何台も来て、お巡りさんや鑑識の人が何人も家の周りをうろうろした。作業が済みみな帰って行くと、それと同時にご近所のおばさまたちがわらわらと集まってきて取り囲まれた。一躍、町内のスターだ。だが、それもつかの間、みな自分の体験談を口々に話し始めた。「我が家が空き巣に入られたとき」のいろんな話が交叉しそれぞれに進行していくというおばちゃんならではの会話の中で聖徳太子の気分だった。今ホットなのはワタシなのにもう少し聞いてよと思いながらふんふんと聞いていた。
この空き巣体験はあちこちで友人などに話したがみな一様に驚いてくれ熱心に聞いてくれたので満足だった。