ようやく夏休みが終わった。慣れてしまえば朝から一日ゆったりと家にいられるのも苦にならない。子供の昼ご飯を毎日作らないといけない面倒もリズムが取れてくると平気だ。それより何より宿題だ。終わってない終わってない・・・と追われる恐怖。結局夏休みが終わるまでにはなんとか終わらせるのだから、頭からのけてしまったらいいいのだ。私がするわけじゃなし、私が困るわけでなし。せっついてもせっつかなくても8月後半にするならヤイヤイ言って憤るだけ無駄ではないか。手を付けてなかろうが「ねばならない」という思いを捨てればいいのだ。そうすればどれだけ子供との幸せな蜜月が送れるだろう(実際に決してそんなことはないが)。何故こんなに大騒ぎするのか。プレッシャーに感じるのか。それは自分が子供の頃やらなかったから。宿題が間に合わないかも、という気持ちは、経験したからこそ思いが至るのだ。多分きちっと計画的にする性格なら、「みな誰でも計画しているはず」と悠然と構え、子供に対して一言もなかったかもしれない。やらなければいけないことはわかっているが、嫌なことは後回し。見ないフリして最後に焦る。決して早めに済ませることはできなかった。
宿題の期限などの時間はぎりぎりだったが、普段の時刻に対しては割合きっちりの方だ。焦るタチだし、待ち合わせでもたいがい時間より早く到着して相手を待っている。待たせるより待つ方が安心だ。というよりかなり早い。その点で気の合う友人と待ち合わせると買い物でもランチでもお互いが時刻より早く来るので、たいがい開店と同時に踏み込むことになる。朝の家事が済む時刻から計算して待ち合わせて、開店かなり前に到着したことも何度かある。
こちらの都合で店は開けてくれないからな、それなりの教訓だった。
全くリズムの合わない人と約束するときは大変だ。オットや母は定刻に到着することを美しいと考えているので一緒にいるとかなりハラハラする。この手の人間は「ちょっとでも早く着くとプライドに関わる」とすら考えている節があるので危険だ。私と同じ「焦る」タイプの父は「時間ぎりぎりに着くことがそんなにエライんじゃない!」といつもぶりぶり怒っているが、「それでも一度も遅れたことはない!」と譲らないので平行線だ。
ギリギリというのは焦るが10分とか5分前に現れてみたい。たまに会合などの集合時間に合わせて自宅で「まだまだ」と我慢して時間調整して出かける。出かけたいのをぐっとこらえ、かと言って時間が気になるので他のことが手につかずナニも出来ない・・・そんな風に家で時間をつぶすのもばからしいので最近はあきらめている。